| メイン |
16年前。
ものすごい揺れで目が覚めた。
本棚の本が布団の上にどさどさと落ちてきて生きた心地がしなかった。
木造の家はきしみ激しく揺れたがなんとか持ちこたえた。
壁はひびが入り屋根瓦も落ちた。
停電で何が起こっているのかもわからない。
ラジオは電池が切れていたので夜が明けてからコンビニへ行った。
途中の信号機も停電、自動販売機も横倒しになっていた。
コンビニも停電していたが店は営業していて既にミネラルウォーターの棚は空になっていた。
私は電池と残っていたお茶のペットボトルを買って家に戻った。
当時阪神高速が倒壊した現場近くで働いていた。
電車も道路も不通で出勤したのは地震から3日後。
職場で家の方向が近い上司が車を出してくれて乗り合わせて。
朝の4時に出て一般道で5時間近くかかった。東に行くほど街の状態は酷くて...
瓦礫が道をふさいでいて何回も迂回してやっとたどり着いた。
「ねえちゃんのとこは大丈夫やったか?」
窓口業務についていた私に顔なじみの自転車駐輪場のおじさんが声をかけてくれた。
が、おじさんの家は全壊、奥さんは亡くなったと聞き返す言葉が出なかった。
1年後、おじさんも奥さんの後を追うように亡くなった。
あのとき、傷ついた街を眺めながら色々なことを思いながら働いていた。
それを思い出す日。
ものすごい揺れで目が覚めた。
本棚の本が布団の上にどさどさと落ちてきて生きた心地がしなかった。
木造の家はきしみ激しく揺れたがなんとか持ちこたえた。
壁はひびが入り屋根瓦も落ちた。
停電で何が起こっているのかもわからない。
ラジオは電池が切れていたので夜が明けてからコンビニへ行った。
途中の信号機も停電、自動販売機も横倒しになっていた。
コンビニも停電していたが店は営業していて既にミネラルウォーターの棚は空になっていた。
私は電池と残っていたお茶のペットボトルを買って家に戻った。
当時阪神高速が倒壊した現場近くで働いていた。
電車も道路も不通で出勤したのは地震から3日後。
職場で家の方向が近い上司が車を出してくれて乗り合わせて。
朝の4時に出て一般道で5時間近くかかった。東に行くほど街の状態は酷くて...
瓦礫が道をふさいでいて何回も迂回してやっとたどり着いた。
「ねえちゃんのとこは大丈夫やったか?」
窓口業務についていた私に顔なじみの自転車駐輪場のおじさんが声をかけてくれた。
が、おじさんの家は全壊、奥さんは亡くなったと聞き返す言葉が出なかった。
1年後、おじさんも奥さんの後を追うように亡くなった。
あのとき、傷ついた街を眺めながら色々なことを思いながら働いていた。
それを思い出す日。
| メイン |
コメント